もくせいのパレット

日々のことこれまでのこと:トニーさん(54さい)・奥さん(わかい)・オモチ(6さい)・チョコ(3さい)

仕事を退職することになったので。

ちょっと振り返って、スクールカメラマンについてつぶやきます。

前置き

今の仕事を4月20日でやめることになった。

さて何をしようかと考えてたところ、幼稚園の卒園を撮る機会があったので、頑張ってみました。
久しぶりでしたが、よく撮れてるのもそこそこあったので、
・・・スクールカメラマンに復帰するかなあ、と考えていたら、
なんかえらいことになっているじゃないですか。


本題

僕には前職があります。
そこで何をやっていたかというと。
フリーランスで某出版元の3次受けで電子書籍のコーディングを4年程やっていました。
電子書籍のコーディングに慣れてきたころには、写真が好きだったこともあって、スクールフォトもはじめました。
主に幼稚園、保育園、です。


スクールフォトでの委託の待遇は、
一撮あたり当初20000円~15000円だったのですが、ゆっくりと下降していき10000円になり、やめるころには10000円も切るように減ってしまい、
撮影の人数も運動会では2~3人だったのが1人に減っていき、撮影ミスも増えてしまった。
拘束時間もさることながら、写真撮ってセレクトして加工してという手間のかかりように仕事が横着になっていく悪循環も生まれる。
できる人はできるんだよなあ。
繁忙期は土日祭日の撮影は必ずあったので、前もって空白のスケジュール表を出しており、予定のない日以外は押さえられる形になっていた。
とはいえ必ず仕事があるわけではなかった。

なので普通の会社勤めの友達とは疎遠になっていく。

撮影については、入園、卒園、運動会、お遊戯会がメインどころで、交通費は往復支給でした。
服装は男女ともにパンツスーツ、ジャケットに黒のパンツ、といった感じでゆるかった。
機材はCanonの貸出機があって、おもに某IT企業の撮影に使われていた。
他にはフォトショなどもいる。
フォトショもカメラと同様にみんな自前だと思う(人に聞いたことがなかった)。

僕の場合はカメラは2台持ちなので、それなりの荷物になる。

結構な荷物を抱えて、園とかに行くわけだが、荷物の置き場所にも気をつかう。
気をつかう人(子供、職員)はそこら中にいるのだ。何度も荷物を出し入れするわけにはいかないので、
荷物を置かせてもらうときにはスタンバイOKということになる。

忘れ物は禁物です。替えの電池を鞄に入れっぱなしにして撮影中に気が付いて困ったりしたこともあった。
1度だけ家に忘れてきてどうしようもなくなってしまったこともあった。

撮影前の打ち合わせ(段取りなど)で自由度は大体はわかる。
園長や担任以外に担当者が別にいたり、撮影禁止の子供や場所や、立ち入り禁止があったり、園側で撮影する人がいたりするので、
聞きながら大まかにでも雰囲気(人となりと地位)をつかんでおかなければクレームの発端となる。
あらかじめわかっている場合は要注意として依頼を受けることもあった。

撮影ではその場で何事かを言われることはない(言われたことはない)。
大体会社へクレームが入る。
すると帰りの電車や車内でクレームを聞くことになる。
聞いた内容に心当たりがなかったりもするし心当たりがあったりもするが、
ほとんどがいちゃもん(言いがかり)のような気がするが、
聞いてしまうと、セレクトのテンションも下がって加工の仕事の質も下がってしまう。

繁忙期は複数件こなす人もいて、すごいなあと思っていた。
僕は受けることはなかった。
少しでも条件の良いところを探して、みんな頑張って2~3か所で掛け持ちしていました。

主婦もいれば写真学校の生徒さんもいる。元プロカメラマンがいたりもうすぐステップアップしそうな人など、色々でそこそこ楽しかったです。


スクールフォトを2年ほど続けた頃、電子書籍の出版社がWEB屋に買い取られてしまい、
月30万~60万あった仕事が、10万台にまで減ったのです。

さてどうしようかと思ってたら。
スクールフォトのカメラマン(社員も委託も)が次々と退社するということが起きました。

社員はキャリアアップと言ってはいたが、給料に愚痴ってたりしてたし、ほんとのところはわからないなあ。
委託は賃金が安いので、生活していけないのがほとんどだったけど中には辞めていく社員に引っ張られたのもいた。

僕もお金のあるうちにと、
ブライダルカメラマンに応募しました。
カメラとポートフォリオを持って面接に行き受かりました。
と言っても、見習いです。

撮影の基本を1か月レクチャーされ、3番手のカメラマンとしてデビュー。
技術が付くありがたい話ですが、給与と呼べるほどの収入もなく、カメラの購入を迫られました。

D7100 と D500 ではだめだから、フルサイズにするようにと要求されました。
確かに写真が荒かった。写真の腕も良くないし。
Canonならレンズを貸せるからCanonがいいよと進められる中、
D750を買う決心をするが、ここで子供ができた。

出産費用もまともに稼げない仕事ではとてもじゃないが、この先やってけないってことで、転職して今の仕事に就いた。
そんな子供ももう小学生です。


まとめ
スクールフォトはやめてしまったあと、大変だったと思った。
ブライダルの仕事に就いた時には、撮影とRAW現像は別で楽だったので、連日でも撮影に集中できた。

一つ思うことは、スクールもブライダルも写真を撮っている人はいつもより良い写真を撮りたがっている。
会話の中心はいつでも写真の話だ。技術の話だ。機材の話だ。
聞いた話を試して消化していくのが面白い。さんざん悩んで買った機材を使うのが楽しい。後悔もする。
いつもついて回るのはお金の話。気が付くと、お金にむしばまれる生活になっている。
どこかであきらめてしまう。スクールフォトの話は、あったあったよそんなこと。

と僕は思っている。